2016年5月30日

タランティーノ

土が新しくなって植え替えを終え、鉢が一回り大きくなったパキラとウンベラータ。土壌が変わるとゆうことは相当な変化で、一度は枯れかけたように見えて、この数日間は目が離せなかった。もうダメなのかなと思わせるほどに。今日になってやっと緑の艶が戻りはじめ、新芽をいくつか見つけた。彼らを見とると、死んだように止まる日々も、芽吹くための活動だったんだと思える。人間も同じなんだろうか。動けて健康であることが良しとされとるけど、動けなくて不健康な日々がそれを支えてくれとる。ダラーッとペトーンッと過ごしとる休日の自分を思い出した。昔、父や母がそのような日を過ごしていたことも思い出した。




チーズケーキを2日連続で仕込む。グラタンも仕込んだ。そんな仕込みが続くと、無口になる。お客さんともうまく話せなくなる。なんでやろう。でも、無口になっとるときほどいろんなことが中を巡っとるのはわかる。言葉にはまだならないイメージの端くれのようなものが浮かんでは消えたりくっついたりして、昔も今も、天使も悪魔もごちゃ混ぜになっとる気がする。だから今話しかけられると、うまくは話せんけど天使的にも悪魔的にもなれるんかもしらん。


仕込みを終えて店を片付けていると急に看板娘が
「しゃべりタランティーノ!」
と僕に向かって言った。
しゃべりタランティーノ、いただきました。反応できないし、驚きが止まらない。無口な今日に物足りなさを感じたのかい、タランティーノ。