2016年3月20日

店主の徒然日記


両親がカウンターで肩を並べて座る。当たり前の光景のようで、そうではないんだろうな。明日何が起こるかなんてわからない。「うちの子がまさか店をやって、その店で作るご飯を食べることになるなんて思ってもなかったわよね。」みたいなことを母が父に言うている。父はナポリタンを口にぶら下げながら「ふむふむ」みたいなことを。僕は聞こえないフリして作り続ける。

まだ2年。親は知らないけど僕はずっとこういう仕事がしたかったんやと思う。まだ儲けもないし、回せてないけど。目に見える地道な仕事が、性に合っているんやと思う。お客さんに真剣勝負で出したものに対してその対価をもらう。彼らが働いて得ているだろう500円は、同じ500円を稼ぐのに必死な僕には大きくてありがたい。だからまたそれを仕入れに使ったり、生活に使ったり、次のエネルギーにさせてもらえる。
僕らは、見えないお金の流れでぶくぶくに太ってしまえる。その有り難さを知らなければ、使い方もわからないでいられる。知ったと思ったそのそばから、また知らなきゃならないことが出てくるこの深い海を前に、どう在ろうか、どう在りたいか、問い続けてゆきたい。