木の絵を描いた。
幹が曲がる必要があった。「曲がった」のではなく、自ら「曲げた」ことをこの木が認める。だからタイトルは『曲げた木』とした。
この木が、環境のせいや周りのせいにして「曲げられた」と思っている内は、どうにも自分を生きれない。そのことを幾度も悲しんで感傷的になって周囲に当り散らして謝ることは繰り返される。でもこの木が、自分で「曲げた」んだと思えた時、景色は変わる。世界は変わる。曲げることは、自分で決めたことでもあったんだ。曲げなければ、木として生き続けられなかったんだから。
木は災害時や冬季にあたり、自らの一部分を仮死状態にしてエネルギーを地下に温存し生き残ることを選択する。その時枝葉は枯れ落ち、彩度を欠き、一見死んだように見える。木は曲がり、コブを作り、空(うろ)を作る。そうして受けた傷を、いずれかばってくるんで、歪ながらもまた自立を成して行く。
歪でも美しい。歪だからこそその木だけの美しさがある。だから木を描きたいんだ。
死んだように停止する時があって、自分でも自分じゃないような朝を迎えることもあって、そうでなければ生きられなかったからそうしたんだろうけど、それでできた傷も治らないままに、歪になってゆく。
それでもええんちゃうかな。悪くないんちゃうかな。そう思えたり思えなかったりを、懲りもせず繰り返すんだ。