2017年2月24日

店主の徒然日記

いつだったか料理人の見習いの人の手を見て、ごつごつして傷だらけだなと勝手に可哀想に思ってたことがあって、気づけば今自分の手もそんな感じになっていた。ただ、それはそれで悪くないもんだと思ってる。



掌の中にほくろがあって、いつだったか「それは財運があるとゆうことだ」的なことを言われたけど、今になっても全くそんな気配がない。ただ、早くから働かなくてもいい環境が与えられることより、働いて自分で手にしてゆけることに囲まれることの方が幸せに思ってる。


「こんなの失敗じゃないですよ」とあの人が言ってくれた。「この店のやり方は間違ってないで」とあの人も言ってくれた。「自信をもて」とあの人も言ってくれた。そんなことを先輩たちに言われれば、僕らの力は萎えた土壌からでも、どことなく湧いてくるんですよ。そんな人たちに恵まれたということに、感謝しています。もうそれはお客さんなんだけど人生の先輩たちで、短い間この店と伴走して歩んでくれたことに感謝している。



この建物の家主さんが、前からたまにランチを食べに来てくれてる。今日も来てくれた。嵐とかとかでお客さんが少ない時とかも来てくれた。思えば家主さんのご家族がかわるがわるきてくれて、それもまた嬉しかった。いい家主さんに巡り会えたから、この建物はきっと大丈夫だろう。この建物は手がかかった。でもそれだけ好きになった。


母親が言う。「痛々しくてあなたたちを見ていられないのよ。」そうなんや。そんな傷だらけのローラみたいなんや。そう言われれば全然最近来なくて、長居しなくなった親。笑い飛ばしてくれよ、と思うけど、実際笑い飛ばされることを想像すると、腹が立つ。そりゃ来にくいわ。今は心配をおかけします。じいちゃんなんか日曜大阪に一緒に展覧見にいかへんか?とか言う。たぶん彼はマイペースなだけだろう。仕込みもあるし、気分じゃないし、丁重に御断りした。だいたいあの喧嘩から、まだ仲が直ったつもりはない。ああ、憎めない人だ。


ケーキをうまいうまいと食べ、スープをうまいうまいといただき、そんなお客さんたの差し入れに、家に帰ってまでも包まれて過ごしている。温かい。心配かけてごめんなさい。ありがとう。


先のことを考え進められない僕に、まずは店をしっかり閉めることの方が大事やと、心を寄せてくれたのは兄だった。なんとなく、兄弟ってありがたい。


お客さんが、「また、来ます」と言って去っていく。その優しさが身に染みて、夢にまで見る。