小学校6年生の時だったか、流行ったサイン帳。転勤が多く馴染めないその頃、軽く、ときに深刻にいじめられていた僕は、周りと波風を立てないよう、サイン帳を親にせがんで買ってもらって。住所とかなんやかんやを形式上集めて回ったんだけど、「なんて無意味なことをしとんだ、使うはずもないものを集めて」と心の中で思ってた。弱い自分を知るしかなかった。背中から紫色の羽根でも生やせたら、どこか魔界へ飛んでいけそうだった。
今、僕らの手に、お客さんたちが連絡先を書いてくれた紙がたまっていく。それはあの頃のサイン帳とは違って、僕らの絶望と希望が入り混じる今をガッと下から支えてくれるものだ。僕らが築いて来た塊のような。必ずこれを使いたい。
あの頃からできることなんて何も増えていないのかもしれない。根本的に成長てきてないのかもしれない。でも、こんなに大事に思えるものができたことは、大きな出来事だ。店も、お客さんも、この、手にした紙たちも。この店を支えてくれた親、兄弟、みんなも、より大切なものになった。
ある常連さんのお母さんがネコヤナギを持ってきてくれた。幼い頃、学校に行くお子さんたちにネコヤナギを持って行かせたようなことをちらっと聞いた。それがどんな思いだったか僕には知れないけど、それはお母さんにとって大切なことだったということだけはわかった。「娘がお世話になっています。」と礼をしてくれたけど、僕らのほうが支えてもらってますから。ネコヤナギを見ていると僕の心は少し落ち着いた。こうゆうことは、こうゆう力は、そういう経験を超えた人にしか運べないことだと思うと、そういういい歳を重ねたいな。
正直、一度閉店します、なんて言うと、お客さんたちはそんな先が暗い店になんか行きたくない、とか思ってしまうんじゃないか、って思って毛布にくるまってる時期があった。そんな時も看板娘はいつも通りでいてくれる。でも彼女の心の動きは、僕の想像をこえてすごいもので、外に見えにくいだけだ。僕は彼女を支えられているんだろうか。
今、皆がかわるがわる足を運んでくれて、来てくれる。「この先もしっかりやれよ!次の店、待っとるぞ!」と言われとるようで、僕らがしてきたことは間違いばかりではないと思えて、涙が止まらなくなった。
3年だ。3年しか。3年も。
5年も、10年も、続けたかった。
この店で。今のお客さんたちとともに。