2017年2月26日
いちろーくん
仕込みます
2017年2月24日
店主の徒然日記
いつだったか料理人の見習いの人の手を見て、ごつごつして傷だらけだなと勝手に可哀想に思ってたことがあって、気づけば今自分の手もそんな感じになっていた。ただ、それはそれで悪くないもんだと思ってる。
掌の中にほくろがあって、いつだったか「それは財運があるとゆうことだ」的なことを言われたけど、今になっても全くそんな気配がない。ただ、早くから働かなくてもいい環境が与えられることより、働いて自分で手にしてゆけることに囲まれることの方が幸せに思ってる。
「こんなの失敗じゃないですよ」とあの人が言ってくれた。「この店のやり方は間違ってないで」とあの人も言ってくれた。「自信をもて」とあの人も言ってくれた。そんなことを先輩たちに言われれば、僕らの力は萎えた土壌からでも、どことなく湧いてくるんですよ。そんな人たちに恵まれたということに、感謝しています。もうそれはお客さんなんだけど人生の先輩たちで、短い間この店と伴走して歩んでくれたことに感謝している。
この建物の家主さんが、前からたまにランチを食べに来てくれてる。今日も来てくれた。嵐とかとかでお客さんが少ない時とかも来てくれた。思えば家主さんのご家族がかわるがわるきてくれて、それもまた嬉しかった。いい家主さんに巡り会えたから、この建物はきっと大丈夫だろう。この建物は手がかかった。でもそれだけ好きになった。
母親が言う。「痛々しくてあなたたちを見ていられないのよ。」そうなんや。そんな傷だらけのローラみたいなんや。そう言われれば全然最近来なくて、長居しなくなった親。笑い飛ばしてくれよ、と思うけど、実際笑い飛ばされることを想像すると、腹が立つ。そりゃ来にくいわ。今は心配をおかけします。じいちゃんなんか日曜大阪に一緒に展覧見にいかへんか?とか言う。たぶん彼はマイペースなだけだろう。仕込みもあるし、気分じゃないし、丁重に御断りした。だいたいあの喧嘩から、まだ仲が直ったつもりはない。ああ、憎めない人だ。
ケーキをうまいうまいと食べ、スープをうまいうまいといただき、そんなお客さんたの差し入れに、家に帰ってまでも包まれて過ごしている。温かい。心配かけてごめんなさい。ありがとう。
先のことを考え進められない僕に、まずは店をしっかり閉めることの方が大事やと、心を寄せてくれたのは兄だった。なんとなく、兄弟ってありがたい。
お客さんが、「また、来ます」と言って去っていく。その優しさが身に染みて、夢にまで見る。
2017年2月23日
僕らの全部で
2017年2月22日
2017年2月21日
2017年2月20日
2017年2月18日
18(土)、19(日)、営業!
2017年2月17日
また、必ず
僕らはずいぶん遠回りをしとるんだろうか。さよなら、ではなく、また、と言う。やり続けたいから、さよならじゃなく「また、必ず」。
今ばうむで過ぎていくこの日々は、この先もずっと忘れたくない日々だ。思い出す度僕らを奮い立たせてくれるような、そんな日々だ。だからこの体じゃ足りない。だからこの目じゃ足りない。
この2日間は特に忙しかった。特別な二日間だった。東京から、京都から、お客さんが来てくれた。きっと彼らは「閉めるなバカヤロー」と伝えにきたんだと思う。遠い道のりを。それが、「ありがとう」と言う言葉に変わるから、困ったもんだ。料理も何もかも、塩味になって、奥歯をぐっと噛みしめて作った珈琲は、硬い味になってしまったんじゃないやろうか。
彼らが僕らにもたらしてくれるものが大きくて、どうすればいいんだろう。
ありがとうを伝えたいのは僕らの方です。この道を諦めない限り、また会えると信じています。また会えた時は必ず、ミニグラタンやナポリタン作りますね。また会えた時は必ず、きゅうり抜きのサンドウィッチ作ります。珈琲は柔らかく、おおらかな味で淹れられるようになりたいです。
会えない時のために、たくさん勇気をくれて、本当にありがとうございました。
2017年2月16日
本日、14時30分より仕込み
2017年2月15日
2017年2月14日
2017年2月13日
2017年2月11日
11日(土)、営業!
2017年2月10日
店主の徒然日記
小学校6年生の時だったか、流行ったサイン帳。転勤が多く馴染めないその頃、軽く、ときに深刻にいじめられていた僕は、周りと波風を立てないよう、サイン帳を親にせがんで買ってもらって。住所とかなんやかんやを形式上集めて回ったんだけど、「なんて無意味なことをしとんだ、使うはずもないものを集めて」と心の中で思ってた。弱い自分を知るしかなかった。背中から紫色の羽根でも生やせたら、どこか魔界へ飛んでいけそうだった。
今、僕らの手に、お客さんたちが連絡先を書いてくれた紙がたまっていく。それはあの頃のサイン帳とは違って、僕らの絶望と希望が入り混じる今をガッと下から支えてくれるものだ。僕らが築いて来た塊のような。必ずこれを使いたい。
あの頃からできることなんて何も増えていないのかもしれない。根本的に成長てきてないのかもしれない。でも、こんなに大事に思えるものができたことは、大きな出来事だ。店も、お客さんも、この、手にした紙たちも。この店を支えてくれた親、兄弟、みんなも、より大切なものになった。
ある常連さんのお母さんがネコヤナギを持ってきてくれた。幼い頃、学校に行くお子さんたちにネコヤナギを持って行かせたようなことをちらっと聞いた。それがどんな思いだったか僕には知れないけど、それはお母さんにとって大切なことだったということだけはわかった。「娘がお世話になっています。」と礼をしてくれたけど、僕らのほうが支えてもらってますから。ネコヤナギを見ていると僕の心は少し落ち着いた。こうゆうことは、こうゆう力は、そういう経験を超えた人にしか運べないことだと思うと、そういういい歳を重ねたいな。
正直、一度閉店します、なんて言うと、お客さんたちはそんな先が暗い店になんか行きたくない、とか思ってしまうんじゃないか、って思って毛布にくるまってる時期があった。そんな時も看板娘はいつも通りでいてくれる。でも彼女の心の動きは、僕の想像をこえてすごいもので、外に見えにくいだけだ。僕は彼女を支えられているんだろうか。
今、皆がかわるがわる足を運んでくれて、来てくれる。「この先もしっかりやれよ!次の店、待っとるぞ!」と言われとるようで、僕らがしてきたことは間違いばかりではないと思えて、涙が止まらなくなった。
3年だ。3年しか。3年も。
5年も、10年も、続けたかった。
この店で。今のお客さんたちとともに。