2014年4月26日

まちの喫茶店


じいちゃんが、こんな記事をもって駆けつけてくれた。どんどん馴染みの懐かしい喫茶店がなくなってく。こんな折に僕らは喫茶店がしたくて店を始めた。昔母親によく連れてかれた。母親は喫茶店で文字どおり一息ついてた。家から離れて、仕事から離れて、一人の素の人間になってた。他のお客さんもそうだった。喫茶店に他にない人の何かが行き交っていると感じた。それはきれいなものだけじゃない。痛さも辛さも憂いもあった。僕は喫茶店だった。営みたい場所が。人が安心してくもりながら在れる場所が。きっと外がまぶしすぎるんだ。時間泥棒もたくさんいる。
兄が、よくこんな時代に始めたな、と珈琲を飲みにきて言った。父がフレンチトーストが美味しいと食べに来て新聞読んどる。子供のまんまおじいさんになったような人もいる。涼ちゃんは取り乱す僕をいつもそっと抱きしめてくれる。不器用だからできないわけじゃない。不器用でも誠実に、魂に嘘をつかずに生きていきたい。どこに辿りつくだろう。じいちゃん、いろいろと本当にありがとう。